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「追憶」のノスタルジックな味わいは映画として面白くて見応えがあります


今回は、午前十時の映画祭で、1973年の「追憶」をTOHOシネマズみゆき座で観てきました。ここはスクリーンが小さくて高いところにあるので、後ろに座ると画面小さいし、前に行くと画面を見上げて首がくたびれちゃいます。

第二次大戦前での大学のキャンパスで、ケイティ(バーブラ・ストライサンド)は反戦運動のアジテーターとして一際目立っていました。そんな彼女は、同じクラスのハベル(ロバート・レッドフォード)に心惹かれていました。ハベルには、彼女にはない文才があったのです。そんな二人はいい感じになりかけたところで卒業。戦争になって、ハベルは軍隊に、ケイティは放送局に勤めます。ある店で偶然出会った二人は急接近し、軍務を終えたハベルは作家になり、ハリウッドに居を構え、ケイティも一緒にハリウッドへ行きます。戦後のハリウッドでは赤狩りが猛威を振るっていましたが、ケイティは反赤狩りの政治運動を起こします。そんな彼女の政治的な闘争心にハベルはついていけなくなりますが、ケイティが折れて、二人はよりを戻し、子供もできるのでした。しかし、時がたち、街で、久々に再会した二人は既にに夫婦ではなく、ハベルは映画製作に忙しく、ケイティは反原爆運動のビラを配り続けるのでした。

アーサー・ローレンツが原作を脚色し、シドニー・ポラックが監督した、20年に渡る男女のドラマです。ラブストーリーということもできるのかもしれませえんが、強烈な個性を持ったケイティという女性の半生を描いたドラマというのがあたっているのかもしれません。とにかく、ケイティはクセの強い女性でして、政治運動は自分にとって一番大事なことのようなのです。誰かのために政治運動をするのではなく、政治運動をすること自体が目的になっているような女性。映画の製作当時にはない言葉で表現するなら地雷女とでも言いましょうか。彼女にとっての正義は、周囲のことを差し置いて表明して、突き進めなければならないことなのです。そこに駆け引きや妥協はありません。ハベルにとっては、人生とは、周囲との人間の関係で成り立っているものですから、周囲との軋轢をものともしないケイティの言動にはついていけないのです。さらに困ったことに、ケイティはハベルを愛していて、ハベルを心の支えとしていたのです。さらに、ハベルもそんなケイティのことを愛していました。

愛があればすべてを乗り越えられる、のであれば、何とかなったのかもしれないケイティとハベルですが、愛よりも優先するケイティの政治信条は、二人を何度も破滅の寸前まで追い詰めます。文才と常識を合わせ持つハベルは、ハリウッドの政治に無関心な連中を見下すケイティをどう扱ったものか、困り果ててしまいます。それでも、子供ができて、二人の仲が収まるかに見えるのですが、ハベルの友人の奥さんと浮気したこともあって、二人の間の溝はなかなか埋まりません。ケイティの生き方はすごくシンプルでして、政治活動が最優先、でもハベルが好き。彼女の中では、それは両立できるのですが、ハベルにとって、そんな彼女を受け入れることは至難の業でして、トライしては失敗を繰り返し、ラストでは、二人は別れ、各々別の伴侶を見つけて暮らしていることが示されます。そして、ケイティは相変わらず政治運動に熱心で、原水爆禁止のビラを配っています。今度のダンナはそんな彼女に理解のある人らしいことをうかがわせ、彼女が道でビラを配るのをロングで捉えたショットにキャストがクレジットされて、おしまい。

二人が一緒にいることで不幸になるってのは、客観的にはよくわかるのですが、ケイティはハベルを必要としていました。彼氏としてだけではなく、親友としてハベルが必要だったのです。他人を見下して、自分の信条こそが最優先のケイティには、心を開いて語る友人がいませんでした。それまで、ハベルはケイティを彼なりに受け入れてきたのですが、いつしかそれに耐えられなくなるシーンは、男目線では、必然だと思います。そこへ泣きを入れてくるケイティを受け入れてしまうハベルは、やっぱりその人柄ゆえに地雷を踏んでしまったんだなあってしみじみしちゃいました。ですから、ラストで二人が別々の人生を歩んでいるのを観て、ほっとするところがありました。バーブラ・ストライサンドは、この周囲の見えない、意志の塊のような女性を存在感のある演技で熱演しています。観客の共感を得られなくても、私はこういう人間なのよという見得の切り方が見事でした。一方の、ロバート・レッドフォードは善良な男を静かに演じて、ヒロインをうまくサポートしています。

ラブストーリーとしては海べを歩くシーンが有名ですが、映画のタイトルナンバー「The Way We Were」がタイトルバックで流れ、そのバリエーションが映画のあちこちで流れることで、映画が現在進行形のラブストーリーではないことを示しています。全てが過去の思い出のように語られる映画のトーンが不思議なノスタルジックが味わいがあり、そういう時代があったんだなあっていう気分になります。1974年の公開当時でも、戦前からの描写はやはりそういうノスタルジックな気分で受け入れられたのではないかしら。マービン・ハムリッシュによる主題曲は、今やスタンダードというべき名曲ですが、映画の中では要所要所にそのバリエーションが流れて、きちんと映画音楽としての役目を果たしているのが見事でした。

登場人物は、この主人公二人に限定されてしまうのですが、それでも、脇役のブラッドフォード・ディルマン、コリン・チルズ、パトリック・オニール、ビベカ・リンドフォース、マレー・ハミルトンといった面々がきちんと印象に残るようにドラマづくりがされているのが印象的でした。その他大勢のポジションで登場する若いジェームズ・ウッズも印象に残ります。その分、映画のテンポは今のそれに比べればゆっくりとしています。思い切った時間の省略をしているので、ダラダラした感じはしないのですが、そのゆっくりした演出の中で、脇役のキャラがきちんと見えてくるところが、最近のジェットコースタームービーにはない味わいがありました。最近の映画はアクションだけでなく、ラブストーリーでも、テンポが上がっていて、脇役を引き立てる余裕を失っているように見えます。短時間にたくさんのものを盛り込むのがいい映画だという風潮なのかもしれませんが、この映画を観て、もっと映画はゆとりや遊びがあっていいよねという気分になりました。

シネスコの画面なのですが、脇のピントが甘いように思えました。ハリー・ストラドリングJrによる撮影は、最近のデジタル加工した画面ほどのシャープネスはありません。これは上映時の問題なのかとも思ったのですが、当時のフィルムの感度やキャメラの性能からすると、こういう絵になっちゃうのはやむを得ないのかなって気がしました。フィルム自体には傷はなく、退色もありませんから、昔からこういう絵だったのかも。

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No title

もくれんさん、コメントありがとうございます。お互いに嫌いじゃないけど相容れない部分があるってのは仕方ないことで、そういうのを縁がなかったってことでしょうね。そのあたりを丁寧に描いていまして、映画として見応えがありました。

No title

かなり前に1度見たきりです(^_^;)
お互いに愛し合っていても乗り越えれない生き方があって、それが自分の本質というか、そおいう生き方しかできないんだな~と切なくなりましたね。
ただ愛にはいろんな形があるので、お互いに最後は上手くいっているのが良かったです。
かなり前に見たきりなのに思い出せるのがこの頃の映画の良さですよね。
最近の展開の早い映画は余韻もないですもんね(^_^;)
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einhorn2233

Author:einhorn2233
Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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