「地球爆破作戦」の理性的にもたらされる平和の発想が面白い


今回は、DVDで「地球爆破作戦」を観ました。以前から気になっていた映画だったのですが、DVDがアマゾンで1000円をきっていたので、手が出ました。1970年のアメリカ映画でして、今、観ると古さは否めないものの、面白い映画に仕上がっていました。

アメリカで極秘開発されていた巨大な防衛コンピュータ、コロッサスがいよいよ本稼動することになりました。大統領(ゴードン・ビンセント)と開発者のフォービン博士(エリック・ブレードン)はコロッサスの稼動をアメリカ中に宣言します。しかし、その直後、コロッサスは他のシステムを発見したとメッセージを出します。それは、同時期に稼動したソ連の防衛システム、ガーディアンでした。コロッサスは、ガーディアンとの接続を要求します。フォービンがそれを許すと、コロッサスとガーディアンは通信を始め、コンピュータ間の特殊な言語で会話を始めます。何かおかしいと感じ始めた米ソ首脳は、回線の接続を指示しますが、接続を切られたコロッサスは通信の再開を要求。それを拒否したら、米ソから核ミサイルが発射されます。あわてて、米ソから回線を再開させ、ソ連のミサイルは迎撃に成功しますが、タッチの差でアメリカのミサイルはソ連のコンビナート地区を破壊してしまいます。核兵器を押さえたコロッサスとガーディアンは、それを使って、両国政府にどんどん要求を出してきます。ガーディアンは、モスクワ攻撃で脅して、開発者を殺させ、コロッサスはフォービンを24時間監視の状態におきます。何とか、コンピュータを出し抜こうと画策する研究者や政治家、軍部。しかし、人の命を奪うことに何のためらいのない、コンピュータには、泣き落としも嘆願も意味はありません。果たして、世界はコンピュータの軍門にくだってしまうのでしょうか。

D・F・ジョーンズの原作を、「ペーパー・チェイス」「チャイナ・シンドローム」の脚本監督をしたジェームズ・ブリッジスが脚色し、「サブウェイ・パニック」「ジョーズ4 復讐篇」のジョセフ・サージェントがメガホンをとりました。スペクタクルで見せる大作ではありません。ただ、コンピュータ室や、管制室のセットは手がかっていることがわかり、雰囲気描写は見事でした。コンピュータへの指示は音声で可能。コンピュータの意思表示はディスプレイに示されるので、一応会話の形で意思疎通できるようになっています。コンピュータはあちこちにあるデータを吸い上げてどんどん賢くなっていき、さらにソ連の軍事コンピュータとも接続して、人間に対して命令を出すようになってきます。コンピュータの暴走というSF設定を丁寧に描くことでそれなりのリアリティがあるお話になっていまして、コロッサスというコンピュータが防衛システムを全て牛耳ってしまうという設定を気にしなければ、結構怖くて面白い映画になっています。1970年代には、まだそれなりにコンピュータに信頼感があったようで、外部から侵入してくるハッカーの心配もなく、人為的バグによる暴走といったリスクもない時代の映画だということはできます。何しろ、大統領がテレビでコロッサスの発表をするとき、コンピュータは人間のように迷ったり間違ったしないと満面の笑顔で言い切ります。映画は、大統領を思慮の浅いバカオヤジという描き方はしていないので、このコンピュータへの信頼感は時代の空気だったのかもしれません。パソコンなんてものがない時代、一般市民がコンピュータがどういうものかよく知らない時代でしたから、コンピュータからSF的な発想を膨らます自由度はかなり高かっただろうということが伺えました。

コロッサスは、自分の要求が受け入れられないと、自分がコントロールしている核ミサイルを何のためらいもなく発射しちゃいます。その一切の駆け引きをしないクールさは、人命尊重とかよりも、自分が世界を掌握することを優先していて、そのやり方に一切の妥協がない、究極の合理性ということが言えます。コンピュータが合理的に決断するというのは、そういうふうにプログラミングされているからですが、コロッサスはどんどん知識を吸収するとともに、プログラムを自分で増殖させることもできるし、記憶容量を増やすこともできるみたいなんです。でも、面白いのが、システムとして巨大化するコロッサスが要求するものが、関係者を監視するためのマイクやカメラ、そして、言いたいことを人間に伝えるための音声システム。頭脳はすごいけど、手足がないから、それを人間に要求してくるのです。それを作らないとまたミサイル発射しちゃうぞって脅しをかけてきますから、誰も逆らえません。ソ連側も自分側のガーディアンシステムがコロッサスとつながってしまって、同じような状況になってしまい、コンピュータを相手にアメリカと共闘せざるを得なくなっていました。東西の冷戦のせいでコンピュータに防衛を任せた結果、コンピュータが頭に乗ってきたきたので、冷戦どころではなくなっちゃうという皮肉な面白さはあり、コロッサスとガーディアンがそういうことをするのは、それなりに論理的な理由があるというところが面白い映画になっています。

ジョセフ・サージェントの演出は、静かにそしてスリリングにドラマを運んでいきまして、ロバート・ワイズの「アンドロメダ」やシドニー・ルメットの「未知への飛行」と似た雰囲気があります。ドラマチックな展開はないけど、じわじわと事態が悪い方向へ向かっていく感じがうまく出ていたように思います。演技陣は地味なメンツばかりで、主演のエリック・ブレードンもヒーローキャラとは一線を画していまして、理性的で合理的な思考をするのですが、事件の張本人という認識はあまりないみたいです。事態の収拾には、このくらい冷静な方がいいのかもしれないけど、そのクールさはコンピュータと似たようなもんだなって思わせるところがおかしかったです。音楽がミシェル・コロンビエだったのは意外性がありました。また、視覚効果でアルバート・ウィットロックが参加していて、作画合成カットが随所に登場します。



この先は結末に触れますのでご注意ください。



コロッサスの動きを封じようと、データのオーバーロードを発生させようとした研究所員は、コロッサスに事前に察知され、コロッサスは研究員を処刑せよと命令、結局彼は銃殺されてしまいます。そして、さらにミサイル基地を爆破させ、多くの死者を出して、もう誰も逆らえないことの念押しをします。そして、テレビで全世界に向けてメッセージを発します。もう、今、コロッサスはガーディアンと一体化して、全世界は自分の支配化に入るように。もともと、自分は戦争をなくすために作られたので、それを実現するためにこういうことになった。人類は多少の不自由をこうむることにはなるが、それは最終的によりよい生活につながるのだと言います。テレビ放映後、コロッサスはフォービン博士に君には特別な扱いをしようと言い出しますが、フォービンは絶対に従わないと言い切るのでした。おしまい。

コロッサスのやろうとしていることは、多少の犠牲を伴いながらも、世界を平和に統治するというものでした。人間一人一人の人権や命なんか問題ではなく、人類という一塊をどう扱うかという考え方しかありません。全体主義と共産主義の典型のような考え方で、それが世界平和への合理的な実現方法だという見せ方にしているのが面白いと思いました。実現のためには、脅迫や粛清をやむを得ないという割り切りが怖いのですが、これが東西冷戦の時期に作られたことを考えると、コンピュータの反乱という設定を使った反共映画だということもできると思います。でも、考え方次第では、最小限の犠牲で、戦争をやめさせたとも言えます。人類の作った破壊兵器を使って、見せしめとして何千何万の人も殺すというのは、ある意味合理的とも言えましょう。その後も、「ターミネーター」とか「イーグル・アイ」という同趣向の映画が作られていますから、コンピュータが、反乱を起こすというネタはまだまだ続くのかもしれませんが、この映画のように、リアルと荒唐無稽をバランスよく取り込んだ映画ってあまりないと思ってます。
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No title

弥八さん、コメントありがとうございます。コンピュータというものがまだ一般人にはワケわからないものだったころのお話で、そういうことあるのかあって素直に怖がれる時代だったのだと思います。確かにフランケンシュタインテーマでしたが、そう考えると創造主は結構ノンキでしたね。

No title

この映画は70年代に公開されたとき、観たいと思いながら観られなかった映画です。80年代に深夜TVで見ました。「新猿の惑星」に悪役で出ていたエリック・ブレードンが主演だったこともあって、観たかったんですが。
冷戦とコンピュータを題材に、自分で手に負えないものを作ってしまうというフランケンシュタインテーマになっていますね。さしずめ現代の怪物は原子力でしょうか。
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Yahooブログから引っ越してきました。静岡出身の横浜市民で映画とサントラのファンです。よろしくお願いいたします。

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